35才、老けることにも慣れ。
最近、老けることに慣れたな、と思う。
新たなシワを発見しても、今までの化粧や服が似合わなくなっても、はいはい次はそう来たのね、と思うだけ。
もちろんショックではあるけれども、それよりどう対処しようかな、という方に頭が動く。
老け→対処→順応の順番で、私の老けサイクルは静かに回っているように思う。
でも、“アラサー”まではこうはいかなかった。
老けるのが怖かったし、悲しかったし、若く見られていたかった。
老けることに慣れていなかったから、対処するにもいちいち手こずったし、落ち込んだ。
今思えば、そりゃそうだよな、と思う。
人生初の、老け。
人生は、生きているだけで初めてのことがやって来る。
試行錯誤をして、今があるだけだ。
老けることに慣れた私は、「今日の肌、いい感じ」と思うハードルがどんどん下がっているように思う。
最近、いい感じだなー、と思ったら、それは肌というよりハードルの問題なんじゃないかとも思っている。
でもまあ、いい。
35才なんだし、そりゃ20代とは同じに行かないのだから。
これが微妙に32才とかだと、20代に見えるかも、、というラインを狙ってしまうけれど(実際、私は狙っていた)、35才になるとそういうこともなくなり清々しい。
とは言え、つい先日。
これは老眼か!?と思われる事件が勃発。
未だにスマホ老眼(眼精疲労による一時的な老眼)なのかわからないのだけれど、その時よりは症状が回復したのでとりあえずまだ大丈夫かなと様子を伺っている。
この時は、焦った。
そして、老眼は、私の中では“老い”に分類されているのだということがわかった。
私はまだ、“老い”には慣れていない。
“老け”に慣れたら“老い”か、、と思ったけれど、まあそういうものかなとも思う。
こういうことは、心づもりができてからやって来るものの方が少ないものね。
最近は人の死に触れることが多く、先々のことを考えて不安になったりもしたけれど、とりあえず今日生きていること、それだけが全てなんだなと。
老けていようが何だろうが、ただ生きていくことなんだなと思います。